くろき脳神経クリニック院長ブログ

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zoom RSS 18年前の患者さん

<<   作成日時 : 2009/03/19 20:19   >>

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今日、3月19日(木)、いつもの様に朝礼を終えた朝8時半過ぎ、クリニックに1本の電話がありました。
受付の人は「先生に昔手術をして頂いたOさんという(内陸の)T市の方からお電話が入っています」と電話を取り次いでくれました。

すぐに思い出しました。
18年と3ヶ月程前、平成2年のクリスマス・イブの事でした。
確か土曜日だったので、友人の家族とクリスマスパーティをするため出かけるところでした。当時大学病院の助手(今で言う助教)をしていた私は大学の医局から電話を受けました。
「20代の妊娠中の女性がくも膜下出血で運び込まれた。これから手術をするから大学病院へすぐに来るように。」
上司命令なので断れません。家族だけパーティに行かせ、私は大学病院へ向かいました。
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確か、当時26才のその患者Oさんは、妊娠7ヶ月。検査所見では脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でした。グレード(重症度)は悪くないので緊急手術の適応ですが、お腹の中には27~28週の赤ちゃんがいました。
脳外科と産婦人科、小児科、麻酔科との緊急会議が開かれ、まずは母体を救うために全身麻酔でくも膜下出血の手術、引き続き帝王切開で胎児を取り上げ、小児科の新生児チームが27~28週のまだ呼吸もままならない赤ちゃんを治療するということになりました。
頭の手術は、全身麻酔が必要ですが、胎児の状態をモニターで監視しながら安全にスムーズに成功しました(破裂した脳動脈瘤にクリップをかけたのは当時の脳外科の教授です)。くも膜下出血の治療は、クリップがきちんとかかって脳動脈瘤の再破裂が防止されてからが勝負です。一番恐いのは「脳血管攣縮」。破裂した動脈瘤から脳の外側(くも膜下腔)に出血した血液が脳の血管を刺激して血管が縮んでしまい血流が障害され、酷い場合は大きな脳梗塞を作ります。それがくも膜下出血の後遺症の一番の原因であり、脳血管攣縮が広範な場合は生命に関わります。
当時(18~19年前)の「脳血管攣縮」の治療の基本は、昇圧、循環血液(血漿)量の増加、血管拡張です。つまり薬によって正常よりも血圧を上げ、点滴をたくさんして体の中の血液量を増やし、縮む血管を広げるような薬と血液がサラサラとなる薬を強力に注射薬で投与するのです。

体内に胎児がいるままではこのような強烈な治療はできません。胎児と母体の両方に悪影響が起こりうるからです。そのため、くも膜下出血の手術が終わったらすぐに胎児を帝王切開で取り出し、母体(くも膜下出血の患者さん)に対する積極的な治療を開始しなければなりません。
しかし、27~28週の胎児というのは肺のサーファクタントが完成するぎりぎりの時期で、自らしっかりとした呼吸が出来ません。そのため新生児チームが取り上げた赤ちゃん(体重1000grなかったはず)に挿管し人工呼吸器に繋いでたくさんの点滴チューブなどを確保して新生児治療器の中で高度な治療が施されました。

Oさんも、たった妊娠7ヶ月で無理矢理外界に連れ出された赤ちゃんも生命力が強く、頑張ってくれました。二人共まったく後遺症もなく退院し自宅に戻る事が出来ました。
くも膜下出血は治ってしまって後遺症がなければ、あとは年に1回くらい外来で変わりがないかどうか確認する程度ですむ病気です。その後、私は2度の米国留学や関連病院出向(県立日本海病院、県立新庄病院、置賜総合病院)もあり、Oさんを外来で診る事はなくなり別の医師が外来を担当していました。

私が大学に戻った時期には、Oさんは外来の医師のリストを見て外来看護師に頼んで私に会いたいと言って下さいました。あの時に、皆で頑張って治療した赤ちゃんが元気に大きくなって、今は中学生だとかそういう事を教えてくれるためでした。

そして、何年かまったくお会いしていなかった今日、インターネットで拙クリニックが酒田にある事を知り、内陸のT市から車で来てくれたのです。あの時の赤ちゃんはこの春高校を卒業し、河北町の会社に勤務が決まったとのこと。Oさんは変わりなくニコニコと笑顔で来てくれました。今や18才と立派な青年になったT君は、おそらくもの凄く久しぶりに顔を見るのに(もしかすると1〜2才の赤ちゃんの時以来かも)、良く知っている者同士と言う感じでとても親しげに話をしてくれました。

18年3ヶ月前の12月24日の夜に、緊急のくも膜下出血の手術を受けたOさん、日付の変わった12月25日に帝王切開で生まれた息子のT君。
わざわざ私に会うために二人で庄内まで来てくれたのです。ゆっくりお話ししていたかったのですが、診療を待っている患者さんがいたので、10分程度の話で終わったのが残念です。
当時の私はまだ脳外科専門医も医学博士も持っていない5年目くらいの脳外科医だったはず。そんな私を今でも慕ってこうして尋ねて来てくれるなんて、医師冥利、脳外科冥利のことでした。
ありがとう、Oさん!

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